パッションがはじけるままに

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「そんなもんだろう」倉橋ヨエコ、解体から10年(2023年7月追記あり)

https://cdnx.natalie.mu/media/news/music/2010/0721/kurahashiyoeko_live_fixw_640_hq.jpg

 

2008年7月20日

10年前の今日、倉橋ヨエコという歌手が「廃業」した。

私は彼女がとても好きで、その存在は人生の支えといってもいいくらいだ。

倉橋ヨエコがいなくなって10年経つ今、私の考える彼女の魅力をまとめるために記事を書こうと思います。何よりも自分のため。

 

情熱、待ってますか?私は持っています。

 

まずは彼女に出会ったきっかけを。

私が倉橋ヨエコに出会ったのは、廃業の1年くらい前。その頃学校ではフラッシュ動画が大流行中で、ハゲの歌とか、ドラえもんの絵描き歌とか、ラーメンズの千葉滋賀佐賀とか、友達と一緒に見ては大笑いしていた日々だった。

今学生の子なんて知らないよね…名前は聞いたことあるかもしれないけど…というか私たちが大喜びで見てたときには全盛期過ぎてたっていうのがマジか!という感想です。

 

そのフラッシュの中に、エジエレキ氏が作った作品があった。

まーびっくり。今見てもすごい作品だ。

↑ご本人らしき方がYouTubeに動画を上げてらしたと思うのですが非公開になっていました。

ただその時私は正直「怖い、暗い」という感想しか抱かなかった。

私はどこにでもいる中学生だったから。

多少周りとの軋轢はあるにしても、仲良しの友達がいたので、特に深く思い悩むことなんてなかった。

多分、大人になっても普通に恋愛して、楽しくはなくても苦痛でもない仕事して、結婚して…なんていう普通という名の理想の人生を生きていれば、好きなることはなかったと思う。

ヨエコはしんどくてしんどくて、それでも音楽はまだ聴けるような、ギリギリに出会うのが一番効く。

 

もう1度この曲を聴いたのは高校生の頃だった。

私はその頃、まぁ色んなことで悩んでいた。家族のこと、学校での人間関係のこと、部活のこと、進路のこと。根本はコミュ障真っ盛りだったことだと思っている。何気ない会話ですら、たいてい冷や汗をダラダラ流しながら真っ赤な顔をしているぐらい重度だった。親しい人以外とは老若男女問わず、話すことに異常なほど緊張していた自意識の強い(これは多分今も…)子だった。

ただ、さっき言ったようなギリギリだったわけではない。それでも、高校に入学するまでに経験したことよりも辛いことが多くて、なかなか大変だったのを覚えている。今ではくだらないと言えるけれど、それは全て乗り越えてきて居る今現在だからだ。

 

聞こうと思ってたどり着いたわけではなかったと思う。

なんとなく、たまたま、そんな偶然で2回目に聴いた夜な夜な夜なは、心地よささえ感じた。

夜は自己嫌悪で忙しい

夜は自己嫌悪で忙しんだ

反省文 反省文 反省文

提出します

http://j-lyric.net/artist/a04d703/l01510f.html

怒涛の高音(ファルセットというのかな?)でのはんせーぶん♪はんせーぶん♪はんせーぶん♪のインパクトもさることながら、自己嫌悪と言いつつ投げやりな雰囲気も感じるこの歌は、「あ、べつに暗くてもいいんだ」と私に気づかせてくれた。

それからのめり込むのは早く、すぐに彼女がもう歌手を辞めていることを知った。

彼女が廃業したのは、私が初めて夜な夜な夜なを聞いた後だった。

なぜもっと早くこの良さに気づかなかったのかと、今でも悔しく思う。

地方のこどもが東京のライブに行くなんてきっと難しかったのだろうけれど、10年前の今日、私も東京キネマ倶楽部に居れたらどんなに素晴らしかっただろう。

 

社会人になった今でも彼女の曲は毎日のように聴く。音楽の力じゃどうにもできない、やりきれない時以外でよく元気をもらうのは「今日も雨」だ。

youtu.be

倉橋ヨエコの曲に欠かせなかったピアノの音はほとんどしない、バンドサウンドの曲。

曲調のヨエコらしさは確かに少ないかもしれないが、明るく錯覚させる音楽だからこそ、現実を歌う歌詞が刺さる。

知らないほうがましだったことは

たくさんあるけれど

初っ端から「あぁ……」とため息が出てしまいそうなほど理解できる歌詞。

真実は明日も私をきっと泣かせるだろう

というサビ前の歌詞から、

でも飛び出していこう

待ってる人はいないけど

泣き止んでみても 外はもっと雨

 それでも行こうと、儚くても簡単には折れない決意を感じさせるサビ。

夜は明けるだとか、雨はいつか止むだとか、そうやって元気づけてくれる曲はあるし、そういう歌で元気になるときもある。でも、「今」が本当につらいとき、「いつか」なんて来るかどうかもわからない時のことを歌われたって、むかつくだけだ。

この曲の中で、雨は最後まで止まない。この曲はずっとつらい「今」だ。

そんな歌の最後で、ヨエコは私にこう言ってくれる。

でも飛び出していこう

待ってる人はいないけど

泣き止んでみたら 外はもっと雨

そんなもんだろう

http://j-lyric.net/artist/a04d703/l015126.html

そんなもんだろう。そんなもんか。

私って、毎日って、人生って、そんなもんなんだ。

某修造さんが見たら諦めんなよ!!!って熱く迫ってきそうな言葉ですが、不思議とちょっとだけ楽になるんですよね。

雨は簡単に止んでくれない。現実は簡単に私を解放してくれない。

それでも生きていこうと、泣きながら笑ったっていいじゃないと、静かに寄り添ってくれる曲です。

 

少し上でヨエコは私にこう言ってくれる。と書いたけれど、それは完全な私の錯覚だ。

なぜなら倉橋ヨエコが廃業前のことを綴った日記「倉橋ヨエコを辞めさせていただけますか?」で、彼女は自分のことしか歌えない、

と記しているから。

みんなが喜ぶ言葉も、悲しむ言葉もない。人は分かち合えない。

だから私は自分の思うことしか歌えないと。

そういう彼女が作った歌だからこそ、響く人には大いに響いたのかも。

youtu.be

唯一倉橋ヨエコ自身ではなく、倉橋ヨエコの母を想って作った歌(らしい)「楯」。この曲もいい曲。

 

「死に向かうことにもがき暴れる(=生きる)場所ではなかった」との結論から廃業をした倉橋ヨエコ。そんなくそ真面目な人が幸福にならないなんておかしいと思うので、倉橋ヨエコ「だった」女性がどこかで元気で生きていればいいと、そればかり思います。

 

戻ってきてもいいんですよ。

 

今回紹介した歌以外にもたくさんいい曲があるのでぜひいろいろ聞いてみてください。

 

 

補足その1

今年の5月の記事。10年ごしの吉報(?)です。

mikiki.tokyo.jp

倉橋ヨエコがmachiという名義で音楽活動をしているのでは?という記事。

(記事内で倉橋ヨエコとは明言されていません)

結局倉橋ヨエコその人かどうかはわからなかったという結論ですが、曲調に、歌詞に、特徴的な歌声にと、もうほぼ「そう」と思っていいのでは……?

もし本当に元倉橋ヨエコだったら元気で何より。日本で買わせてください。

 

 

補足その2

記事内で触れた「倉橋ヨエコを辞めさせていただけますか?」ですが、いつの間にか閲覧できなくなっていました。普通にしんどい。無理。

数週間前には確かに読めたのに……

そのため少し本来の記述とは異なっていると思います。

ニュアンスごと全然違ったら教えてください。

 

 

補足その3

現実?

7月1日の朝にこれに気づいたのですがえーっとリアルで声出てしまった。

ひん曲がった人間なのでほんと?って気持ちがちょっとあったことを懺悔します。

本編に書いた通りファンになった時はもう廃業されていたので、ヨエコとして彼女がいる事実に戸惑いが未だあるんですよね。6月30日までの現世とは一変してしまったなぁと。私はついていけるのか?あなたが存在するこの世界に… 

ブログの追記が遅くなったのはそういう理由…だったらかっこよかったのですが別にそんなことはなく、久しぶりにはてなブログにログインしたら仕様が変わっていて、追記ついでに修正したかったところを直すのに手間取っただけですw

ネットニュースになりテレビでもバズったワードで取り上げられ公式Youtubeもできて本当なんだな…夢じゃないんだな…とじわじわ思えてきています。

とにかくおかえりなさい!

youtube.com

復活に際して廃業時は生まれてなくて、とか赤ちゃんで、とかそんなコメントも目にして、いま未成年の子どもたちにも聞かれているのほんとすごいなぁと思っています。tiktokで友達のうたがバズったとかもあるんだろうけど。なぜかうれしい。

 

体調と相談しつつのようなので、あるかわかりませんがライブやってくれたら絶対行きたい。今度は私が行くから。どこにいても必ず見つけるから。

…これ本当の友情を得たアンシーがウテナに言うからいいのであって、私がヨエコに言ったらただのヤバいガチオタですねw