パッションがはじけるままに

熱情がほとばしったとき書きなぐっちゃうよ

いざ、未来へー。「さらざんまい」の欲望とつながり私的見解

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4月から始まったアニメ「さらざんまい」もフジテレビノイタミナでは6月21日に最終回を迎えました。

視聴を終えた今は清々しい気分です。もちろん来週からもう見れない寂しさはありますが。

 

情熱、もってますか?私はもってます。

 

さらざんまい前編を見て感じた、このアニメで描かれる「欲望とつながり」について私の見解をまとめました。ほぼ自分用。

見てない方がこの記事を読んでるとも思えませんが、一応公式HP貼っておくので配信サイトとか確認して見てね。個人的には一気見がおすすめ。特に7話~最終話。

http://sarazanmai.com/

 

 今回の幾原作品は作品のテーマがはっきり語られている

まず私の見解を述べるまでもなくこれは真実だと思うのですよ。ウテナもピンドラもユリ熊もこれかな?というテーマはあっても、登場人物たちの口からそれが出てくることは一切なかった。 それがさらざんまいでは最終話のケッピと吾妻サラ、矢逆春河が明言しています。

ケッピ「しかし、行き先が常に明るいとは限らない。希望も絶望も命とともにあるのだから」

サラ「忘れないで。喪失の痛みを抱えてもなお、欲望をつなぐ者だけが、未来を手にできる」

春河「わかったよ。僕が選ぶんだ。僕は、僕の選んだものを信じるよ。大切な人がいるから、悲しくなったり嬉しくなったりするんだね。そうやって僕らは、つながっているんだね」

なんてわかりやすい。

もうここまで言ってくれたら後は蛇足なんですが書きたいので書く。

監督のインタビューもいくつか読みましたが、何度か東日本大震災の後の変化について触れていました。あの大きな震災の後、物質的な価値は喪失して、人は体験や経験に価値を見出すようになった。みたいな……(うろ覚え)たしかに、震災後から頻繁に「絆」という言葉を聞くようになった気がします。そうやって皆がつながりを意識するようになった今だからこそ、つながりとは?目に見えない価値とは?を描きたかったのかな。

㋐欲望がつながりを生み、つながりが欲望を生んだ

卵が先か鶏が先かみたいなフレーズですけど。

春河が言っていた「始めから終わりまで、まあるい円でつながっているよ」とはそういうことなのかな、と。

そもそもの始まり、悠が一稀にミサンガを渡すところだってつながりたいという欲望からなんですよね。誓のために大切なものを捨てるとは言ったけれど、誓だけで本当に良かったらたぶんミサンガはあげない。ミサンガを与えることで、彼は自分が生きていることを誰かに知っていてほしかった。そして一稀は燕太につながりを与え、4年後に3人はつながった。 円になった。

 

「円の外側に行く」と言って、どう見てもカワウッソ~が化けているだけの誓と共に行ってしまう悠。悠がここまでさらざんまいできていたのは、やっぱり兄の存在が大きかったのだと思う。どんな形でも兄とつながりたかった。そのつながりたいという欲望が、一稀と燕太の二人と悠をつなげることになった。 だから、もともとの欲望の対象がなくなり絶望した悠は「死ぬより酷い」、自分の存在すら消すことを考えてしまった。

10話ラストの「もう疲れた」がきっついセリフです。大切な兄を喪い、つながっていた友達助けるため他人(実際はカッパだけど)を撃ち、彼にとっては唯一の希望であった皿の願いも譲る。優しく賢い子がすり減っていくのは、なんだか現実世界も思い出してしまう。悪い奴が生き残ると言っていた誓はたぶん間違っていない。

「はじまらない、おわらない、つながれない」

歴代カパゾンビたちが入っていったその中心こそが、円の外側。その中心ですこしずつ記憶を失っても、なお忘れないものがあった。それが欲望。つながりたいという思い。

結局のところ、ティザーPVから繰り返し語られたセンテンスが全てだったように思います。

「つながっても、見失っても。手放すな、欲望は君の命だ」

欲望という命があったことが、絶望の可能性も乗り越えて過去の一稀に再びミサンガを渡せた理由だったんじゃないかな。

 

㋐未来はある

ケッピがダダダダークネス~の黒ケッピと融合し漏洩した未来。

それはどれも明るく、楽しいものではありませんでした。

フィールドで3人がパスを「つないでも」、そのつながりには苦しみがある。つながりたいけど、偽りたい、伝わらない、そばにいない、もう会えない……

それでも、と3人が同じ答えを出す。

「つながりたいから諦めない」

6話のサブタイトルであり、一つの希望。

実際人として生きていて、輝かしい未来だけなんて思えない。誰にでも大なり小なり、生きていて苦しい・辛い・悲しい思いをしたことなんていくらでもあるでしょう。 生きていてもしょうがないとか、生きる意味に疑問を持ったことだってあるかもしれない。

それでも未来はある。ラストで少年刑務所から出所した悠の「それがどうした!」というセリフも、ここに終結している気がします。看守も言ってましたね。「君の人生はこれから始まるんだ」と。つながりを諦めなければ未来に希望はある。たとえそれまで絶望があったとしても。

その観点で、私は主人公の3人がラストに死んでいる・死んだ・自殺したという見解を強く否定したい。誓も言っていた。「人生は一発勝負」だと。生き物とは死んだら終わりなのだ。逆に言えば、生きていればずっと続いていく。

もちろんこの世界からいなくなってもその意思を受け継ぐ者がいる。ただこのアニメは最後まで3人の物語だった。3人でさらざんまいだった。学園を出ていくアンシーのような、ゲス子を抱きしめた亜依撃子のような、意思を継ぐ者がいなかったということは、一発勝負の彼らの生命は続いているんだと思う。そして、どんな未来でもつながりを手放さないのだ。

 

「いざ、未来へ―。」

簡単につながれる、そんな気になってしまう現代だからこそ、つながりたいという欲望を大事にしたい。そしてつながりが絶望を生むとしても、未来にむかって生きていきたい。そう思います。 

 

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いや~~さわやか!初夏にぴったり!大満足でした!

別記事でどーでもいい感想とか8話までの予想の答え合わせとかもしたいな~